ごあいさつ

 この度は当店のホームページへのご来店ありがとうございます。
株式会社葉山 代表取締役と、このホームページ 葉山『もみじの里 青垣』の店主を務めております 鴻谷佳彦と申します。どうぞよろしくお願いいたします。 

 創業から私で4代目、丹波市青垣町で約100年間商売をさせて頂いております。
少し、葉山のことをご紹介させてくださいね。

~(株)葉山ものがたり ~

1代目 鶴蔵

 大正~ 郵便配達をしていた曾お爺ちゃんが仕事を変えて、リヤカーを引き乾物や干物を青垣町~福知山付近で行商していたのが葉山(当時の屋号:こうたに)の始まりです。
 初代の人柄としては、信心深く勤勉、おしゃべり好きだったようです。この頃のエピソードでこんなことがあります。初代がいつものようにリヤカーで行商していると…「今日は何か荷台が重いぞ、おかしいな…?」と後ろをパッと振り返ると、狐がひょっこり乗っていて売り物の油揚を静かに食べているじゃないですか!驚いて狐を怒るとその後 化かされて道を迷わされたということがあったそうです(笑)
 重いリヤカーを押して坂道を上るときは必ずと言っていいほど、近所の遊んでいる子どもたちを乾物のくずや干物で釣って、坂道を押してもらっていたようです。そんなエピソードを今でも「あの乾物がおいしかってなぁ~」と目を細めて話してくれるおじいさんがいらっしゃいます。

2代目 庄八

 昭和~ 青垣町の佐治商店街で魚屋の『こうたに』として店を構えました。佐治商店街が宿場町や商店街として一番活気がある時代でした。当時2代目は、佐治の高田幸吉として人気があったそうです。晩年まで店番や商品の仕入れなどで活躍していました。
 葉山『もみじの里 青垣』のお客さんに聞いて初めて知ったのですが、町の消防団長などまとめ役を多数しており少々慕われていたようです。酔っぱらうといつも、あなたのお爺さんに世話になってなぁ〜と話してくださる方がいらっしゃいます。

3代目 隆司(私の父)

 「今からは仕出しの時代だ!」と祖父に言われ、西宮の料亭で修行をしてきて仕出し部門を作りました。母と結婚してからは事業所へのお弁当配達を始め、屋号も『葉山』とし青垣町口塩久へ調理場を移しました。
 仕出し・お弁当の葉山と食料品店『こうたに』も好景気の波に乗り順調に商売を進めました。また地域のリーダーとして商工会や観光協会の役員を務めるなど、地元に根付いた商売をしてきました。

 そして4代目
 私、鴻谷佳彦ですが、高校卒業後5年間、父と同じ西宮の料亭で修行をさせて頂き、家業を発展させようと丹波市からの指定管理業務の委託に伴い、葉山『もみじの里 青垣』を会社組織にしました。
 この葉山『もみじの里 青垣』という施設は最大宿泊数25名と小さな旅館で、取り立てて何もないところだなあ…と思いながら、暗中模索で運営しておりました。するとある日、テニスクラブの方々が宿泊してくださいました。年齢も30~65才と幅広くご夫婦の方もあり、どこかとても紳士的な感じの素敵な方々でした。毎年3回も青垣町のグリーンベル(近所のスポーツ施設)で合宿されているという事で、「そのテニスコートはよっぽどいいコートなのかな?」と勝手に思っていました。3回目のご来店時に思い切って聞いてみました、「テニスコートが気に入っておられるんですか?」と。すると、返ってきた応えにビックリ!
 コートが良いという理由ではなく、ただ葉山『もみじの里 青垣』が小さい施設なので貸し切りしやすく、宴会の時に他のお客様に迷惑をかけないから。その他に、静かな自然環境の中で集中して練習ができる 等々、お話ししてくださいました。
 「足らない」と思っていた「何もない静かな自然環境」や「小さく中途半端だと思っていた施設」の本当の価値が、私にはわかっていなかったんだと痛感しました。

 それ以来、お客様の声に耳を傾けるようにしていると、他のテニスクラブのお客様も同様の目的が多いことに気が付きました。そこで、今までのテニスクラブの方のご意見や困っておられることの解決方法をまとめてご紹介してみよう。そうしたら「もっと楽しんでもらえるんじゃないか」と思いました。
 そして、このホームページを始めました。やり始めると、まとめたり説明することが難しい時もあり、いろいろな方に相談しながら運営しております。
 あまりうまく表現ができず伝わりづらいこともあるかもしれません。そんな時はお気軽にお電話していただけますと嬉しいです。

 このホームページを通して、素敵な出会いがありますことを楽しみにしております。それではお時間の許す限りゆっくりご覧ください。

店主  鴻谷 佳彦