この度は当店のホームページへのご来店ありがとうございます。
株式会社葉山 代表取締役と、このホームページ 葉山『もみじの里 青垣』の店主を務めております
鴻谷佳彦です。どうぞよろしくお願いします。
創業から私で4代目で、丹波市青垣町で約90年間商売をさせて頂いております。
少し、葉山のことをご紹介させてくださいね。
〜(株)葉山の物語
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1代目 鶴蔵
大正〜 郵便配達をしていた曾お爺ちゃんが仕事を変えてリヤカーを引き、乾物や干物を青垣町〜福知山付近を売り回っていたのが葉山(当時の屋号は「こうたに」といいます)の始まりです。
初代の人柄としては、信心深く勤勉、おしゃべり好きだったようです。この頃のエピソードでこんなことがあります。初代がいつものようにリヤカーで行商していると…「何か荷台が今日は重いぞ、おかしいな?」と後ろをパッと見ると、狐がひょっこり乗っていて売り物の油揚を静かに食べているじゃないですか!驚いて狐を怒るとその後化かされて道を迷わされたということがあったそうです。ハハハハハハ・・・
重いリヤカーを押して坂道を上るときは必ずと言っていいほど、近所の遊んでいる子供たちを乾物のくずや干物で釣って坂道を押してもらっていたようです。
そんな事を今でも目を細めて「あの乾物がおいしかってなぁ〜」って教えてくれるおじいさんがいます。
2代目 庄八
昭和〜青垣町の佐治商店街で魚屋の「こうたに」として店を構えました。佐治商店街がその当時宿場町や商店街で一番活気がある時代でした。当時 2代目は、佐治の高田幸吉として人気があったそうです。14年前までは店番や商品の仕入れなどで活躍していました。葉山『もみじの里青垣』のお客さんに聞いて初めて知ったのですが、町の消防団長などまとめ役を多数しており少々慕われていたようです。酔っぱらうといつもあなたのお爺さんに世話になったと絡んでくる人がいます。
3代目 隆司(私の父)
「今からは仕出しの時代だ」と祖父に言われ、西宮の料亭で修行をしてきて仕出し部門を作りました。母と結婚してからは事業所へお弁当配達を始め、屋号も「葉山」とし青垣町口塩久へ調理場を移しました。仕出し・お弁当の葉山とお店「こうたに」も好景気の波に乗り順調に商売を進めました。また地域のリーダーとして商工会や観光協会の役員を務めるなど、地元に根付いた商売をしてきました。
そして4代目
私、鴻谷佳彦ですが、高校卒業後5年間父と同じ西宮で修業をさせて頂き家業を発展させようと丹波市からの指定管理業務の委託に伴い、葉山『もみじの里青垣』を会社組織にしました。
この葉山『もみじの里青垣』という施設は最大宿泊数25名と小さな旅館で何もないところだなあと思いながら、暗中模索で運営していますと、ある日テニス倶楽部の方が宿泊してくださいました。年齢も30〜65才とバラバラでご夫婦の方もあり、どこかとても紳士的な感じの素敵な方々でした。毎年3回も青垣町のグリーンベル(近所のスポーツ施設のこと)で合宿しているという事で、「そのテニスコートはよっぽどいいコートなのかな?」なんて勝手に思っていました。
3回目の来店時に思い切って聞いてみました。「テニスコートが気に入っておられるんですか?」と。すると、返ってきた応えはコートが良いという訳ではなく、ただ葉山『もみじの里青垣』が小さい施設なので貸し切りしやすく、宴会の時に他の客に迷惑かけないからという事でした。その他に、予約が取りやすいという事と何もない所で集中して練習ができる、というのもあとのことでしたが、その言葉をきいてびっくり!私が「足らない」と思っていた、「何もない静かな自然環境や小さい中途半端だ」と思っていた施設の本当の価値が、私にはわかっていなかったんだと痛感しました。
それ以来お客様の声に耳を傾けるようにしていると、他のテニス倶楽部のお客様もそういう注文が多い事に気付きました。そこで、今までのテニスクラブの方の意見や困っておられることの解決方法をまとめてご紹介してみよう。そうしたら「もっと楽しんでもらえるんじゃないか」と思いました。
そして、このホームページを始めました。でもやり始めると、まとめたり説明しようとしたりすることがとても難しいことがわかり、いろいろな方に相談しながらやっとここまできました。
あまりうまく表現ができなくて伝わらないこともあるかもしれませんが、そんな時はお気軽にお電話していただけたらとてもうれしいです。
このホームページを通して、素敵な出会いがありますことを楽しみにしております。それではお時間の許す限りゆっくりご覧ください。
店主 鴻谷
佳彦
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